ただいま寄り道中

カチン・ミッチーナの備忘録

ミッチーナからマンダレーまで夜行(?)高速バスで行ってみた。

こんにちはおこめです。

年末年始は、ミッチーナからマンダレー昆明麗江に旅してきました。旅路を振り返りつつ、役にたつかもしれないかもしれない情報を載せてみます。

 

先月の22日にミッチーナからマンダレーまで夜行高速バスを使って訪れました。

 

バスの簡単な概要。

ミッチーナバスターミナル利用。場所は下記ツイート参照。

 


IKBZというバス会社を利用。
11:00ミッチーナ発で明朝5時ごろマンダレー着。(およそ18~19時間)
値段は22300Ks。時期や乗る人の数によっても変化するのかも。
車内は4列。座席自体は軟らかいけどやや狭い。ブランケットが座席につき一枚ついている。
配布物は水(1L)とウエットティッシュ
トイレはありません。


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ミッチーナのバスターミナルは客引きなのかなんなのか、入るとお兄さんやおじさんがワ~っと寄ってきて若干怖い。
そもそもターミナルというより、とりあえずバスが集まってるよ!感がすごい。


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寄ってきた人をテキトーにいなしながら、マンダレー行きたい旨を伝えて案内されたのがIKBZの受付窓口。

 

外国人はパスポートを見せる必要があるみたいです。
ちなみに、出発前にトイレ済ませようと思ってIKBZのお兄ちゃんに聞いたら明らかに人の家?みたいなトイレに連れて行ってもらったので、もしかするとトイレ設備は整ってないのかも。

 

そんなこんなで定刻より遅れてバス出発。

揺れは思っていたよりもひどくない。ミャンマーの悪路を走ってるにしてはかなりましかも。

出発時間が11時ということで、13時過ぎごろに昼食のため停車。味はう~ん。


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値段はたまたま近くに座っていたおばちゃんと二人で会計して2000Ks。まぁいいかな。

 

ちなみにトイレ&食事(朝晩)でおおよそ5回ほど停車します。

 

夕ご飯食べるまでは、わりと元気でなーんだ全然大丈夫じゃん!って思ってたんですけど、夜になるにつれて気温が下がり車内が寒くなってきて、そこからがしんどかった…。

 

そしたら一緒にご飯食べたおばちゃんが、後ろの座席に行こう!空いてるから横になれる!って引っ張って行ってもらったんですけど、おばちゃんよ、おばちゃんは150センチないくらいだからそうなのかもしれないけど、私は横にはなれないよ…。そして、明らかに運転手の方々が交代で寝るようにとってあるスペースでは…。

 

そんなこんなでマンダレー着。
寒いし、暗いしで、バス会社のおじさんが2000Ksでホテルまで送って行ってくれるとか言うので乗っけてもらう。(この時点でマンダレーバイタクの相場はわからなかった)


しかし、おじさん、同じところを2回も3回も通って時間を稼ぐとかセコイ真似しなくても、私は2000Ks払うよ…だいたい、遠回りするならもう少し工夫してくれ…右折続きだし、ナイロンホテルの看板はかなり目立つんだ…。

 

そんなこんなでホテル到着。案の定というか、2000Ksって言っていたおじさん4000Ksとかいうんで、引きつつも「Just 2000Ks (ニッコリ)」と言って支払ったら、なんかへらへら笑いながら帰って行きました。

 

結論。バスは寒い。防寒対策をしっかりと!日本の夜行バスはもう無理な人はおとなしく飛行機のろう!

”Refuge"国内避難民キャンプへ―故郷を離れざるを得ない人々―

昨日、自宅近くの”Refuge=国内難民キャンプ"を訪れました。

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一部屋で一家族だそうです。

 

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台所スペース。一家族につき一窯です。

 

現在ミャンマーには、政府軍と少数民族武装グループとの間で戦闘が極地散発的に起こっています。
とくにここカチン州ではミャンマーではラカイン州につぐ、約10万人の国内避難民がいるといわれています。
 
彼らは、生まれ育った土地を紛争によって追われ各地につくられた国内避難民キャンプでの暮らしを余儀なくされているのです。
 
ミッチーナにも多くの”Refuge"と呼ばれる国内避難民キャンプがあります。私の住んでいるところから7-8分ほど歩いたところにもそうした避難民キャンプがありました。
 
こちらへきてひと月、今まで訪れたことがなかっため生徒に連れられて実際に避難民キャンプへいってみました。足を踏み入れると、このスペースにこんなに人がいるのか!と驚くほど大勢の人が、ひしめきあって暮らしていました。
各国の支援によって作られた井戸や建物などがあり、WFP(World Food Program)の支援物資なども届く模様。
また、ひと月に老若男女問わず一人当たり9000チャットの支援金が配られるそうです。
子供たちは、この地区の小学校に通い教育を受けているとのこと。
 
実は、この難民キャンプに連れて行ってくれた生徒もまた、両親が別の地域の難民キャンプに暮らしているというのです。
 
日本に暮らしているとほとんど耳にすることのない、こうしたミャンマーのニュース。日本の報道機関は、せいぜいアウンサンスーチー氏がリーダーとなり民主化へ向かっていくんだとか、これから経済発展していくからビジネスチャンスがとか、まあその程度ではないでしょうか。
 
しかし、それも仕方ないことなのかもしれません。結局、自分の生活と大して関わりがないことに興味を持つ人は少ないのでしょう。かくいう私も、ここで暮らして初めて知ったことが多いのです。私たちは、「関係ない・知らない」で暮らしていける。
 
実際には、国連に毎年多くの金額を拠出したり、あるいはJAICAなどが活動しているため、決して無関係ではないのすが。
日本はあまりにも国連ODAについての教育がされていないというか、国民が学ぶ機会が少ない気がします。
 
とにかく、今後、少しでもカチンやミャンマーのことに関心を払う人が増えてほしいと願わずにはいられません。

「皆勤賞」って結局何なんだ?- 学校に毎日通える子通えない子-

こんにちは、ミッチーナ在住おこめです。
最近、TwitterのTL上で「皆勤賞」というものに対するつぶやきを見かけて、いろいろ思うことがあったのでちょっと意見を書いてみました。
 

 

 
後半部分はさておき、皆勤賞から無縁の不登校児だった私からすれば、確かに”健康元気に”毎日学校通える子は凄いなぁと思う。一方で、「賞」としての皆勤賞はなくしたほうがいいと思うのが私の意見。
 
学校というフォーマルな場で表彰されるとかされないとかはいったん置いといて、毎日学校通っている子も通っていない子も多かれ少なかれ頑張っていると思う。
 
家族は、我が子が毎日学校通うのは当たり前で頑張ってるとか頑張ってないとかそういう話じゃない、なんて思わないでいただきたい。さらに付け加えれば、学校に通わない・通えない選択肢をとった子どもだって、めちゃくちゃ頑張っていることが多々あると思う。
平日の真昼間に一人家のなかにいる恐怖・不安・自己嫌悪。そんな苦痛でしかない状況以上の、耐え難い苦痛が学校にはあるから彼らは通わない、通えないのだ。
 
毎日、学校に通って皆勤賞をもらっている子はすごい。でも、そうじゃない子はその子なりなに頑張っていてすごい。だから、皆勤賞すごいね!と相手を讃えてあげるのいいことだけど、少なくともいろんな事情で通えない子もそれはそれで、賞という形じゃなくても認めてあげたいと思う。
 
 
ちなみに、出雲市が皆勤賞を設けない理由を問われた際にだした回答が、わりと自分の意見と近いので詳しくはそちらを見てもらいたい。
 
皆さんも自分自身が小中学生だったのころを思い出してほしい。皆勤賞ほしさに風邪ひいても無理して学校に来る人、少なからずいましたよね?そうなると、もう皆勤賞の意味なんてないのではと。
 
だいたい「皆勤賞」の意味とはなんだろうか。学校に登校する気力と体力を育む、というのが一般的な意味だろうか。
調べてみると、皆勤賞は、学校や地域によってあったりなかったりマチマチで、ひょっとすれば校長先生の一存で決まってしまう程度の賞であるという意見も出てくる。
そうすると皆勤賞ってのは、校長なり教育委員会なりが、学校経営を考えるうえで、「生徒の出席意欲を高める」狙いで設けられた賞であり、ひょっとする泥臭い「大人の事情」が絡んでいるような代物なのかもしれない。例えば児童の出席率が高いってのは学校の評価みたいなものに繋がるとか。
 
結局、皆勤賞に躍起になるのは子供よりも大人だ。大人が躍起になるから子供が「そうういうもんか」と思って躍起になりだす。それがズルズル続いてしまっているんじゃないかな。その程度のものに囚われる当事者ってしんどいなぁ。