ミッチーナについて③自前laptopでWifi(有料)と電源が利用できるネットカフェ
Thanksgiving ーわたしの頬張っている鶏肉は、先刻まで生きていた“彼ら”ー
本日は、ミッチーナにとある協会で感謝祭を祝う会にお邪魔してきました。感謝祭についてはWiki参照 (https://goo.gl/LTkgcG)
アメリカと同様に、カチンではこの時期に感謝祭が開かれています。カチンの方は多くがキリスト教(バプティスト)であり、それがアメリカ人の宣教師によって 広まったということが、アメリカと同様に感謝祭を祝う理由だとか。(こちらは会に出席していた牧師さんの談)
それ以上に、もともと焼き畑農業が中心であったカチンでは、長い雨季を経てやっと新米を口にできるこの時期が、人々にとって特別であったということが感謝祭が根付いた理由なのではないかと。
そういう意味では、カチンでの感謝祭はむしろ日本の「新嘗祭」に通ずる部分が大きいような気もします。戦後、「新嘗祭」は名前を変えて「勤労感謝の日」となったわけですが、’勤労’などつけずに「感謝の日」あるいはそのまま「新嘗祭」でもよかったのではと。誰かに感謝するだけでなく、自然の目に見えない何かに感謝する日でもあるわけですから。
さて、収穫をもたらす神(God)に感謝して、その収穫の喜びを皆で分かち合う感謝祭のセレモニーには、歌あり、踊りあり、聖書の朗読ありと盛りだくさん!
壇上には人々が持ち寄った収穫物
会場全体で歌を歌って、会がスタート
合唱する女性たち。各々違う色味のロンジーが美しい
互いに収穫物を贈りあう。籠の側面には花がさしてあり、それもまた美しい。
会の最後、食事会で、先ほどまで生きていた鶏がつぶされた調理された料理を口にしたとき、「生きている」というより「生かされている」んだという言葉が、すとんと心に落ちてきました。それって、かなり当たり前のことではあるんですが、日々の暮らしに追われていると、ついつい忘れちゃうんですよね。
今、ここにいること、それは数多の命の犠牲の上にあるんだという紛れもない事実、そういうものへの感謝を忘れずに生きていきたいと思います。
ミャンマーの母なる川・エーヤワディー川の始まり地・ミッソンにピクニックへ行ってきた
こんにちはおこめです。ミッチーナ市街から車で1時間ほどのところにある景勝地、ミッソンへピクニックへ行ってきました。
ミッソンは二つの川の合流地点となっており、エーヤワディー川の始まりの場所でもあります。ミッチーナからは少し遠くて、車なら1時間ほどかかる山にあります。ミッソン付近には宿泊施設がありませんので、ミッチーナから観光で行くのであれば往復の時間を含めて半日ほどは見ておいたほうがいいかもしれません。
本日は、知人の車に乗せてもらい知人家族と一緒にミッソンへ。途中、文字をもらった100年記念の塔や、お祈り施設に寄り道しつつミッソンへ。
到着そうそうやけに真新しいパゴダに迎えられて川べりに降りました。川べりは大きな石がごろごろで結構歩きづらい!
しかし、人々が写真を撮ったり、散策したりしている姿をみるとなんとも楽しい気持ちになります。芋煮シーズンの某県の川辺のような…。
川沿いは、雨季には水につかる下側と、通年人が暮らせる上側があり、どちらにも飲食店や小売店が軒を連ねていました。
お昼は、上側の飲食店でお店のお料理と持ってきたお弁当をいただきました
魚は釣ったばかりの新鮮なものでとってもおいしかったです。またイノシシ料理なども食べることができました。
美味しいごはんに美しい景色、お金にはかえられない最高の瞬間です。
しかし、ミッソンの美しい景色は近い将来見られなくなるかもしれません。ミッソンは今ダム建設問題に揺れています。ダムをつくればミッソンの美しい景色は未来永劫この地球から消えてしまうでしょう。
知人は、政府に対して「自然がかけがえのない財産である」ということをもっと意識して欲しい、と嘆いていました。さらに、ミッソンへもっと多くの外国人がきてほしい、カチンへきて自然の豊かさを知ってもらい、共に声をあげてほしいと。
ミッチーナ市街地からミッソンまで来るのはやや面倒かもしれません。
しかし、ミッソン自体も綺麗なところですし、その道中もまた道路沿いに並ぶ家々からカチンの何気ない日常が垣間見えて楽しいです。
ミッチーナへ来た際は、ぜひこちらへ訪れて見てください!