ただいま寄り道中

カチン・ミッチーナの備忘録

ミャンマー最北の町・Putao(プーターオ)に行ってきた!

昨日まで5日間ほど、ミャンマー最北の町・Putaoへ行ってきました。
結論からいって、Putaoは確かに素晴らしい場所ではありますが、外国人旅行者が行くには諸々お金もかかるし面倒なところかもしれません。
しかし、その美しさ、雄大さ、魅力は実際に訪れなければ、半分も伝わらないだろうなとも思いました。
今回は、そんなPutaoの行き方・物価・見どころなどをご紹介したいと思います。
 
Putaoへの入境について
 
Putao市内であれば外国人は許可なしで入ることが認められています。
ただ、「市内」というのがどこまでなのか?というのが曖昧で、旅行者にはなかなか判断しづらい部分です。
基本的には、ミッチーナあたりで現地の旅行会社にツアーを組んでもらって訪れるのが最も確実で安心な方法だと思います。
そもそも市中心部にはあまり見どころという見どころがないので、郊外へ出て自然を楽しみましょう。
 
Putaoへのアクセス
 
Putaoへのアクセスは空路一択です。その他の交通機関は危険なため、現地の方も空路でしか訪れないと言っていました。
 
ミッチーナからはゴールデンミャンマー航空とミャンマー航空が飛んでいます。所要時間は30分程度、片道は80USD(2017年4月現在)
ヤンゴンからであれば、ゴールデンミャンマー航空が週に何便か飛んでいるそうです。詳細は直接旅行会社に確認するのがお勧めです。
 
Putao空港から市内へのアクセス

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Putaoにつくと、ミッチーナ同様外国人は必ずイミグレーションで申請の必要があります。このイミグレの場所が分かりづらく、出発ホール(Departure hall)にしかないので要注意です。
ミッチーナ同様、イミグレの際にはホテル名を伝える必要があります。ホテル名を伝えると、空港職員の方が外で待っているホテルの方と引き合わせてくれるので楽といえば楽です。ただ、ホテルの送迎車にのっていく必要があるので、送迎費がいくらになるのかは聞いてみましょう。あとから紹介する私が宿泊したホステルは空港までの往復で2人10000Ksとかなり高い値段でした。空港から市内までは10分足らずなので、値段は要交渉かと思います。
 
Putao市内のHostel

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大前提としてPutaoは物価が高いです。外国人バックパッカーが気安くいけるようなところではありません。
Putaoでも良心的値段設定といわれるKham Su Ko Hostelでも、風呂トイレ付きのツインルームが”一人当たり”$35です。この一人当たりというのが、どうにも納得できないのですが、一緒に行ったミャンマー人の友達に交渉してもらってもどうやらそういうシステムで運営されているらしく…。
節約したいということであれば、風呂トイレ共同や、ダブルルームなどほかのタイプの部屋もあるので予算を伝え、交渉してみるのがいいと思います。
 
値段以外の部分では、部屋も清潔でお湯も使えて、オーナーもしっかりした方でしたので良いホステルだったと思います。併設されているレストランの食事もやや高めですが美味しかったですしね。ただしWifiやエアコンはありません。
 
Kham Su Koの連絡先は以下の通りです。基本的によほどの大人数でないかぎり予約しなくても宿泊可能だと思います。
 
オーナー直通:09452530736
 
その他、マリカホテル、Putaoホテル、トレッキングホテルなどありますが、どこもかなりお高めな高級感あふれるホテルです。
 
Putaoの通信事情
 
Putaoでは、MPT・Telenorは電話のみ利用可、ooredooは3G回線が使用できます。(ただし速度は非常に遅いです)。
可能であれば、MPTとooredooのSIMを2枚持って行って使うのが確実かと思います。
 
Putaoの見どころ
 
基本的には外国人が許可なしでいけるところは、農村の風景を眺めるとか、川に降りてみるとか、遠くの雪山をみるとかそのくらいの楽しみでしょうか。
それはそれでいいのですが、せっかくPutaoまで来たのであれば、許可をとってマリ川の川下りやトレッキングをするのがいいかと思います。
 
Putao訪問時の注意点
 
①ドル・ミャンマーチャットは多めに持っていく。両替可能な銀行やクレジットカードを使用できる場所はない(2017年4月現在)
②物価は高め。とくに、バイタクやトゥクトゥクなど移動費は非常に高い。
③訪問時期は4月だったので、日中はかなり暑いのだが、朝晩はやや冷え込む。体調などには留意。
 
 
以下は今回の旅で私が訪れた場所です。いずれも許可が必要な地域になるかと思います。
 
Leng Sha Yang

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Putao市内から車で1時間ほど。
カチン人の聖地である、Ndawng Bun(ンドォン山)を見ることが出来ます。静かな農村です。
 
Machanbaw

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市内からバイクで40分ほど。川にかかる橋とラウワン人の人々の村が織りなす景色が美しいです。
また、道中の山々に囲まれた大草原も行きを飲む美しさです。
 
Nat Jawng

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Machanbawからバイクで道なき道を1時間ほど進み、小舟に乗り換えて訪れてやっと訪れるができるのがこちら。

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中州に特徴的な形の石が並び、自然の造形の素晴らしに感動します。水も冷たく澄んでいます。ちなみにビルマ政府が勝手に立てパゴダはカチン人には大不評。

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その他の村など

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密林が覆い被さる山々と、川が織りなす景色の雄大さは写真では全く伝えることができません。

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Putaoから2マイルほどの郊外の村。まっすぐに降り注ぐ強い日差しを屋内でやり過ごしながら、どこからか聞こえてくる讃美歌に耳を澄ましたとき、本当に幸せな気分になりました。クリスチャンではないのですが、神様に祝福された土地があるとしたらここもそうなんじゃないかと。
 
 
Putaoは人と自然が織りなす景色がまるで絵のように美しかったです。残念ながら、写真ではその素晴らしさがまったく伝えられていません…。
私は、絶景と呼ばれる場所には2つあると思っていて、一つは実際にみるよりも写真で見たほうが美しく感じられる場所。もう一つは、写真ではその魅力を完全に伝えることが出来ない場所。Putaoは間違なく後者です。
目で見るだけでなく、鳥のさえずりや川の音、木々のこすれる音を聞き、澄んだ空気が運ぶ森の匂いを嗅ぎ、肌で風と日差しを感じて、はじめてその魅力がわかる、そんな場所がPutaoです。
 
自然を愛する方や都会の喧騒につかれた方、またはパゴダや濁流の運河にやや飽きつつあるミャンマーフリークの皆さは、ぜひ一度訪れてみてください!

56年目となった「カチン革命記念日(Kachin Revolution Day)」(Kachinland Newsより)

こんにちは、おこめです。ミッチーナは暑期に向けて日増しに日差しが強くなっている今日この頃です。昼間であれば、水シャワーもへっちゃらです!
さて、今日はカチンランドニュースから「56年目のカチン革命記念日」について。ちなみに、記事のポイントの内容は、おこめの独断と偏見に基づいていますので、原文を閲覧されることを強く推奨します。
 

(Kachinland News:2017/02/05付)

 

記事ポイント
・KIAカチン独立軍が成立し、今年で56年目を迎え世界中のカチンコミュニティで記念の式が行われた。*1
・1947年2月12日、アウンサン将軍の呼びかけに応じ、パンロン(Panglong)協定に署名した。しかし1950年代ビルマ政府の先導による反ファシスト人民自由同盟が、パンロン協定を無視して少数民族の文化や宗教的伝統を抑圧するようになった。
ビルマ政府やビルマ人がカチン人を自分たちよりも下位の民族だとみなし、カチンを植民地化していると感じたラングーン大学のカチン人学生らによって、 1957年にKIOの前身となる組織を編成した。
 
記事ポイント
KIOのラニョ・ゾォン・ラ(Lanyaw Zawng Hra)会長が正解中のカチン人に向けて次のようなメッセージを送った。
・カチン・コミュニティのさらなる団結。
・IDPへの支援への感謝と継続支援への祈り
・KIO/KIAで働く人へのねぎらい。
・麻薬取り締まりの強化。薬事業に従事するカチン・コミュニティの敵である
ビルマ政府による少数民族支配体制への批判
 
 
私的感想
カチンが独立に向けて(或いは自治権の獲得)に向けて、半世紀以上がたっているのかと思うと、民族紛争というものの解決の難しさに気分が沈んでしまう。
紛争はいつ終わるのだろうか?KIO/KIAが諦めるとは思えないし、ビルマ政府が歩み寄るのが現実路線だとは思うが実際にそれは可能なのだろうか。
民主化が進むことで、かえって多数派のビルマ人の言い分が正当性をもって通ってしまうのではないかと思う。(民主的な選挙の結果、多数派の意見が通るのはひどく真っ当だ)。
もちろん、今の軍事政権では何も変わらないし、民主化した方がまだマシとは思う。でも、国際社会が期待をかけるほどには、当のカチン人は民主化への希望が薄れているように思う。
もう一つ、麻薬についての言及があるのが興味深い。アヘン栽培などには裏に大きな利権が絡んでいて、それがコミュニティを破壊しかねない勢いで増殖しているということなのだろうか。地元に恩恵以上の災厄をもたらす麻薬そのもの批判であり、一部利己主義・経済至上主義に走るカチン人を戒めているようにも思う。
森林伐採と同じく中国が一枚かんでお金を動かしているのは間違いないだろうし、貧困というか、絶望・不安・焦燥感と麻薬はいとも容易く結びついてしまうのだ。
 
カチン独立革命記念日が現在進行形の革命を指すものではなくなる日がいつの日か来ることを願うとともに、より多くの人にこの問題を知ってもらうために発信していこうと思う。

*1:1960年10月25日シャン州北部のラショー(Lashio)にてKIO(カチン独立機構)が結成され、翌年2月5日にKIAが成立。

失われた英雄コー・ニー氏を讃えて (2017/01/31付Kachinland Newsより)

こんにちは、おこめです。ミッチーナはここ2,3日は夜になると雨が降っています!いよいよ暑期が近づいているということでしょうか?
今日は、1月29日にヤンゴンで暗殺されたNLD法律顧問コー・ニー(U.Ko.Ni)氏の話題。
カチンランドニュース(Kachinland News以下KLN)*1から、コー・ニー氏の業績などをご紹介しつつ私的乾燥を。
 
In Praise Of The Fallen Hero U Ko Ni: The lawyer with a vision
 
記事のポイント
・コー・ニー氏は2008年の憲法のに大きく貢献した
・2013年以降もコー・ニー氏は憲法改正への活動を展開している。現在、NLDが議会を統制しているにも関わらずいまだに議席数の25%が軍人によって占められていることは、真の民主主義と連邦制の妨げになると発言している。
・現行憲法は次の2つの点で民主的でないとコー・ニー氏は述べていた。第一に憲法改正に国民の希望と参加が反映されない状態であること。第二に、国権が国民にあるとしながらも、憲法改正国連総会代表者の75%以上の賛成が必要であるほか、各州の首相は大統領によって任命され、州政府は内務省によって運営されていること等。
・2016年4月、コー・ニー氏はミャンマータイムズの取材に対して、現行憲法の改正が軍によって阻まれ難しい以上新憲法を作成し制定する道をNLDが歩むと述べていた
 
私的感想
Kachinland Newsの記事作成者は、自らが「コー・ニー氏の熱心な支持者」であると前置きし、その業績について述べている。
注目すべきはやはり現行憲法への批判と新憲法制定に尽力していた人物であったということ。軍部を中心とした既得権益を持つ人から厄介者扱いを受けていてもおかしくない。
民主化に対して熱心であったことはもちろん、連邦制に対しても一定のビジョンを持っていたであろうことを思うと、カチン的にも彼の死が後々になって様々な影響が出そうな気がする。
 
民主化の進展に暗い影を落とすであろうこの事件。犯人が単独犯であるとは到底思えず、バックには過激な右派やそれらと通ずる軍部がいるのではないかと勘ぐってしまう。
軍部と政府との攻防は今後も続いていくだろうし、社会の変革期には様々なもめごとが起こっていくのは歴史の常ではあるけれど、それでも苦しむ人や命を落とする人が少なければ少ないほうがいいと思う。ミャンマーはまだ数か月しか暮らしていないし、ほとんどミッチーナにいるけど、カチン人もビルマ人も、シャン人やチン人も、今まで出会った人は皆おおらかで、本当にごく普通の人たちだった。
ビルマ軍だって大多数はそういった一般市民生まれから入隊しているわけで、一人一人みればわりと善良な人達なのだろう。それでも、敵を見たら戦うし時に殺しもする。それがとても悲しいと思う。
 
何にせよ事件の早期全容解明を願い、コー・ニー氏のご冥福をお祈りします。
 

*1:KLNはミャンマー・カチン州に拠点を置く非営利メディア。主に、カチン州での内戦に関する記事などを掲載。公式ページ:http://kachinlandnews.com